自由に描きたいスケッチ帳

日々のスケッチをのせています。

内なる声を聞く

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 世の中的には内なる声より世間の声、なのかもしれませんが、私自身にとって心の声が聞こえなくなることは、もっとも恐ろしいことのひとつだと感じています。 作品をつくってどこかに投稿すると、評価が出ますが、その評価は時に、自分の内なる声・心の声を、本人でさえ気づかないうちに隠してしまいます。

 昔の自分自身の体験からなのですが、例えば、「褒めてもらえたから、次も同じような作品にしたほうがいいのかな?」なんて思ったりします。 それを繰り返すと、気が付いたら自分が何を作りたいのかよくわからなくなってたり。 でも「なんか違う」というもやもやした感覚はなんとなくずっと感じ続けることになります。 なぜなら、内なる声は自分自身そのものであり、たとえ聞こえなくなったとしても消えることはないからです。

 案外自分が心の底から描きたいものなんて、自分自身でさえなかなか分からなくて自然だと思います。自分で自分のことぐらいよく分かってる、というのは大抵錯覚だと思います。自分の行動の多くを、人は意識の力だけでコントロールできません(でも、脳は「自分はコントロールできている」と錯覚させるみたいです)。 少なくとも私の場合はゆっくりと霧が晴れるようにして、ようやく最近自分が好きなものが分かってきました。 でも確実な見つけ方みたいなものはわかりません。 強いて言えば、好きだと感じるものを意識して生活することぐらいでしょうか・・・? ただ、描きたいものがわかって、それを描いているときほど楽しいことはありません。 私の中では最も充実した感覚が得られる時間です。 だから自分自身の内なる声を聞いて、本当に好きなものを探す価値は、大いにあると思います。

絵とべき論

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 一般に絵を描くときに陥ってしまうかもしれないべき論的な思考、つまり「~すべきである」という考え方について考えてみました。 半分は自分への言い聞かせです。これに縛られすぎると絵を描くのが辛くなると思います。 これが原因で筆を折る人もいるかもしれません。

 

・上達すべきである

・上手に描けるべきである

・たくさん描くべきである

・たくさん見るべきである

・たくさん見てもらうべきである

・絵を描くにはそれなりの理由があるべきである

・前に描いた絵より良い見栄えになっているべきである

・構図や色が何らかのルールに従っているべきである

・パースに従っているべきである

・流行に沿うべきである

・偉い人(偉く見える人)の言うことに従うべきである

などなど。

 

 これらの思考は役に立つこともありますが、意識しすぎると自分の首を絞めます。もしここに二分法的思考(パーフェクトなら100点、1つでも間違いがあったら0点。全か無かで中間値が無い)が加わると悲惨です。1枚の絵を完成させるころには顔が真っ青です。完成に至らなくても真っ青になってる気がします。

 上のような考え方に縛られがちだと思ったら、ベルトを少し緩めてあげるのもいいかもしれません。絵に関して絶対的に自分を縛るものは何もありません。案外、自分自身の鎖から解放されることで今まで見えなかったいい感じの道が見えてきたりするかも・・・。

 

 

前回の記事から大分間が開きましたが、絵だけはゆるゆると描き続けています。

あけましておめでとうございます。

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岩のような鯨。

あけましておめでとうございます。しばらく更新をお休みしている間は、自分の性格とブログの方針について少し考えていました。元々自分は描いた絵を人に見てもらいたいという気持ちがあまりないのですが、人目に触れさせた方がプラスの刺激が得られるかなと思って始めたのがこのブログです。これまで作業工程とかちょっとした描き方を載せてみたりしましたが、うーん、やっぱりなんだかそういうのは向いていなかったみたいです。なんというか、自分がそういうのを書くとどうしても暖かみのない文章になってしまう。それが気になるんですよね。本当は伝えたいことなんてそんなに無いのに無理をして記事にするのが、ちょっと中身が無い感じがして。

 ……みたいなことを考えてると、その刺激で頭がいっぱいになってしまい、目の前のキャンバスに集中できていない自分がいることに気づきました。もちろんそういった刺激がモチベーションにつながる人もたくさんいると思います。でも自分は違ったようです。そこでここしばらくは、そういった刺激をなるべく減らして思うままに学習を進めてみました。すると、やっぱりそういう心持ちの方がしっくりきました。

 

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錆びたオブジェ。

なんだか抽象的な物言いでよく分からない文章になっている気がしますが、今後ものんびり静かに活動は続けていこうと思います。今年は少し優しい感じの文章が書けるといいな。

立体の基本

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廃都市を描きました。

また、今回はすべての立体の基本である幾何形体にも取り組んでみました。立方体、円柱、球、円錐。これらの組み合わせであらゆる複雑な立体を構成することができるので、面白くは無くても時間をかけて学習する価値がある題材だと思います。

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一口に基本といっても光源の方向、種類、パースの収束の度合い、他の立体からの反射などなど、いろいろと考えることがあるので案外体力を使います。しかも形自体が一見簡単に見えるので、これぐらいなら描けるだろうと軽視したくなってしまいます(自分だけかも?)。でもそういう気持ちをちょっと堪えて地道に取り組めば、補って余りあるリターンが得られるモチーフだと思います。アナログの画材で描いてもいいですが、個人的にはデジタルで選択ツールと柔らかいブラシを使うと簡単に綺麗なエッジを保てるのでおすすめです。

絵の学習と確証バイアス

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廃村と亡霊。反省点はいろいろありますが、もっと層(皮、骨、とか金属の錆とか)になってる部分を見せるとよかったと思います。リサーチ不足。

 

 今回は確証バイアスについて、絵の練習と関連付けて書きたいと思います。確証バイアスは、自分を含めおそらくほぼ全ての人が大なり小なり日々行っている意識の修正です。簡単に言うと、

「自分の欲しい情報しか目に入らない、あるいは集めない」

という傾向です。

例えばできるだけ本物に近づけるよう模写をしたとき、できた絵と元の絵を見比べて、心のどこかで「ここが違う」とうっすら気づいていても、無意識に他のある程度似せられた部分を探して「これでいいんだ」と納得しようとしたりとか(決して完璧に模写するのがいいと言っているわけではありません。それは模写する目的によります)。この脳のはたらきは無意識下での処理なので、存在自体を知らないと気づくのは難しいと思われます。しかしながら、絵の学習においてこの傾向が強すぎると障害になる可能性があります。特に外からフィードバックを得る機会が少ない環境にいる場合は、偏った方向に進む確率は上がります。これも単純にフィードバックはとにかくたくさん得られれば良いというわけではないし、偏ることが悪いと言いたいわけでもありません。ただ、確証バイアスが自分の絵を客観的に見る目を曇らせていることは確かです。

対策の一つとしては、確証バイアスの存在を知り、それが起こりそうなタイミングでセルフチェックしてみることが挙げられます。上の例で言えば少し思いとどまって、

「もしかして自分に都合のいい部分だけ見ようとしてる?」

と自分自身に訊いてみることです。そうすることで、新しく「修正のためにペンを握りなおす」という選択肢が生まれます。そこから先は自分次第です。あまり根を詰めても体に毒ですから、切り上げてお茶にしたり、次の一枚に進むのも手かもしれませんね。

目標設定の穴?

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 雷の魔法使い。最近はHSPについての本も読みつつ、認知心理学についてもちょろちょろと調べたりしています。絵はずっと描き続けています。 

 一般的に、目標は低いより高い方がいいとされています。
しかし目標が高ければ高いほど最終的に達成したり成長したりする可能性が高くなるかと言えば、無条件でそうだとは言えません。とにかく目標を達成するまで修行僧のように自分を追い詰めていると、失速して逆に目標達成は遠ざかります。「他の誘惑はすべて我慢して、ひたすら目標のために突っ走るぞ!」というような完璧主義的な傾向があると、逆に失敗する確率が上がるというのはなんだか皮肉めいたものを感じます。

 ではどうしたらよいか…月並みですが、大きな目標の前に、簡単に達成できる小さな目標を設定し、達成できたら自分に報酬を与える。というのが効果があるようです。例えば、
「今日は〇〇を×分勉強する」
というように短い単位で達成できる目標を決めて、達成できたら好きなものを食べる、とか。こうすることで脳の報酬系という神経系のはたらきにより、行動が強化されます。「勉強する」という行動が苦痛を伴っているとしても、「好きなものを食べる」という行為につながっていればやる気が出てしまうのです。パブロフの犬と同じで、人間の脳も案外簡単に条件付けすることができるようです。報酬系についてはもっと知識を深めていきたいところ。

 注意したいところは、「自分に確実に与えられるようなものを報酬に設定する」というところです。買い物をするでもゲームをするでも自分が好きなものならなんでもいいと思いますが、他者評価を得るとか博打を打つとか、自分で操作できないものを設定してしまうと、そもそも報酬が得られるかどうかが不確定になり、報酬系を機能させることは難しくなりそう。この場合個人的に恐ろしいのは、「がんばったのに成果が得られなかった」という結果を脳が学習してしまうのではないかということです。つまり、上の例で言えば「勉強する」ということと「成果が何も無い」ということが結びついてしまい、それならわざわざエネルギーを使って勉強する必要は無い、と脳が無意識化で判断してしまうということです。

時間と友達に

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 雪と銀髪の人。ライティングと肌の色が好みの感じになりました。

 人間の脳は朝起きたときから意思決定に使うエネルギーを消耗していきます。出来れば描画にすべてのエネルギーを使いこみたいところですが、他のことに気を取られることは避けられません。例えば今日の晩御飯はどうするか?いつ食べるか?とか。日常の些事に頭を悩ませている間は目の前のことにあまり集中することができません。そこで少し時間管理をして、無駄な意思決定に使うエネルギーを削れるところは削ってみようと思います。というのも、自分は今まではスケジュールなど決めず割と思いついたことから手を付けていたのですが、それを思いつくまでの「あれをやろうか?やっぱりあっちをやろうか?」ともやもや考えているプロセスに無意識にエネルギーを使ってしまっているようなのです。そしてやろうかやらないかふわふわ考えつづけて「あ、2時間も経っちゃった」なんてことがよくあります。体質的にも勝手に内側から考え事が出てきやすいので、なすがままに気ままにしておけば健康に良いというわけでもない…。というわけで、まずは一日ごとに軽くタイムスケジュールを組んでみるところから始めてみようかと思います。時間管理は自分を縛るための縄ではなく、自分にとって大切な目標をたぐりよせるための糸であると考えて…。

 「集中」に関連して、先日TEDを見ていたらこんな話がありました。作業中にスマホの通知を3分に1度確認してしまう人は、たとえスマホがなくても3分に1度自動的に集中が切れるように脳が学習してしまうそうです(こわい!)。気ままになすがままにしていた方が自分にとって良い結果が得られる…とは必ずしも言えなさそうです。