Digression

絵日記です。

雑記

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 ここ数カ月、絵についてたくさんのことを教えてもらいました。指導してくれた方は生徒のやり方や嗜好をとても尊重してくれて、これが正解、というような言い方は一切せず、こういう考え方もあるよ、という風に優しく、でも経験に基づいたはっきりとした新しい道を示してくれました。生徒だけでなく、インストラクター自身も毎週教え方を改善しようと試行錯誤されていて、そこに人間性の深みのようなものを感じました。そんな姿勢は、彼の絵にも表れているように見えました。これからもし何かを教える側にたったときは、そんな風に振る舞いたいと思いました。同時に、おそらく自分は絵を見るとき、その絵の中に描き手の人柄や意思の軌跡を勝手に感じ取ろうとしているのだと思いました。

内なる声を聞く

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 世の中的には内なる声より世間の声、なのかもしれませんが、私自身にとって心の声が聞こえなくなることは、もっとも恐ろしいことのひとつだと感じています。 作品をつくってどこかに投稿すると、評価が出ますが、その評価は時に、自分の内なる声・心の声を、本人でさえ気づかないうちに隠してしまいます。

 昔の自分自身の体験からなのですが、例えば、「褒めてもらえたから、次も同じような作品にしたほうがいいのかな?」なんて思ったりします。 それを繰り返すと、気が付いたら自分が何を作りたいのかよくわからなくなってたり。 でも「なんか違う」というもやもやした感覚はなんとなくずっと感じ続けることになります。 なぜなら、内なる声は自分自身そのものであり、たとえ聞こえなくなったとしても消えることはないからです。

 案外自分が心の底から描きたいものなんて、自分自身でさえなかなか分からなくて自然だと思います。自分で自分のことぐらいよく分かってる、というのは大抵錯覚だと思います。自分の行動の多くを、人は意識の力だけでコントロールできません(でも、脳は「自分はコントロールできている」と錯覚させるみたいです)。 少なくとも私の場合はゆっくりと霧が晴れるようにして、ようやく最近自分が好きなものが分かってきました。 でも確実な見つけ方みたいなものはわかりません。 強いて言えば、好きだと感じるものを意識して生活することぐらいでしょうか・・・? ただ、描きたいものがわかって、それを描いているときほど楽しいことはありません。 私の中では最も充実した感覚が得られる時間です。 だから自分自身の内なる声を聞いて、本当に好きなものを探す価値は、大いにあると思います。

絵とべき論

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 一般に絵を描くときに陥ってしまうかもしれないべき論的な思考、つまり「~すべきである」という考え方について考えてみました。 半分は自分への言い聞かせです。これに縛られすぎると絵を描くのが辛くなると思います。 これが原因で筆を折る人もいるかもしれません。

 

・上達すべきである

・上手に描けるべきである

・たくさん描くべきである

・たくさん見るべきである

・たくさん見てもらうべきである

・絵を描くにはそれなりの理由があるべきである

・前に描いた絵より良い見栄えになっているべきである

・構図や色が何らかのルールに従っているべきである

・パースに従っているべきである

・流行に沿うべきである

・偉い人(偉く見える人)の言うことに従うべきである

などなど。

 

 これらの思考は役に立つこともありますが、意識しすぎると自分の首を絞めます。もしここに二分法的思考(パーフェクトなら100点、1つでも間違いがあったら0点。全か無かで中間値が無い)が加わると悲惨です。1枚の絵を完成させるころには顔が真っ青です。完成に至らなくても真っ青になってる気がします。

 上のような考え方に縛られがちだと思ったら、ベルトを少し緩めてあげるのもいいかもしれません。絵に関して絶対的に自分を縛るものは何もありません。案外、自分自身の鎖から解放されることで今まで見えなかったいい感じの道が見えてきたりするかも・・・。

 

 

前回の記事から大分間が開きましたが、絵だけはゆるゆると描き続けています。